富士山写真展: 山本耕作さん
町田で月イチでアートが楽しめる「パリコレッ!ギャラリー」第5弾のアーティストは、
富士山を20年間追い続けている富士山写真家・山本耕作さん。
2021年1月7日(木)より、富士山写真展『富士 光の山』がスタートします。
写真展開催にあたり、山本さんにお話を伺いました。
■写真を始めたキッカケを教えてください。
僕は子どもの頃から写真を撮るのが好きで、中学生の時は友人の影響もあって写真部に入りました。電車が好きな、いわゆる撮り鉄だったんです。あの頃は一眼レフカメラで全国へ撮りに行っていましたね。中学で一旦、写真はやめてたんですが、社会人になっていろいろと疲れていた頃に、友人から「気晴らしにカメラを持ってアルプスにでも行ったら?」って勧められて。1998年頃からまた撮り始めたんです。要は現実逃避だったんですけど、気晴らしが今では逆になっちゃって写真中心の生活ですね(笑)目の前に夢のような世界が広がるわけでしょ、「うわ~」って感動して、そしたらはまっちゃったわけです。
■山本さんと言えば富士山ですが、はじめから富士山を被写体にしていたのですか?
はじめは、撮る被写体はなんでもよかったんです。気晴らしに散歩しにいく感覚で、せっかくカメラを持っているから写真でも撮りながら行くか、そんな感じです。僕は自然が好きなので、友人が長野の上高地を勧めてくれたのですが、1回目はカメラを持たずに行ったんです。「世の中にこんな所があるんだ~」ってくらい感動しちゃって、そこから上高地を撮ろうってなりました。素晴らしい景色を見て、それが撮れると思うと中毒みたいになるんですよ。元々すぐ熱くなって夢中になる気質なので、当時は毎週相模原から北アルプスまで通っていました。
■ポストカードから運命的な出逢いがあったそうですが。
長野県の戸隠だとか白馬とか色々と回るなかで、各地で気に入ったポストカードを買うのですが、たまたま同じ写真家のものを買っていたことに気がついて、思わず電話しちゃったんです。そしたら電話口に穏やかな声のご本人が出られて、「あなたの出版物を全部、片っ端から欲しいです」って伝えたんです。しばらくしてから、上高地の撮影の時になんだか聞き覚えのある声が後ろからして、そしたらあの憧れの写真家・佐々木信一さんだったんですよ。彼の上高地の写真に憧れて、そこで偶然にも出逢えるんですからね。嬉しかったですね。それ以来、撮った写真を見せに行ったり、師弟みたいなお付き合いが始まりました。佐々木さんはいつも的確なアドバイスをしてくれて、励ましてもらっています。
■上高地から富士山に被写体が移ったのはなぜですか?
あの頃はとにかく写真が面白くて。ただ、長野まで毎週通うのは体力的にも金銭的にも難しかったので、近場にある富士山の写真を撮って練習し始めました。何も分からないまま、ただ行ってはシャッターを切っていたんですが、段々と知り合いもできて。はまったら覚悟のいる世界っていうのも分かってきたのですが、僕は覚悟をしていたわけでもなく、その頃はただ面白くて。富士山を通して、ものすごい現象が見れるわけですよ。一度すごいのを見ちゃうと、「また見れるんじゃないか」ってまた行っちゃう。まさに富士(不治)の病は治らないってやつです(笑)
■富士山と他の山の違いってありますか?
山って2種類あって、北アルプスや南アルプスみたいに山脈が連なってる長い山と、富士山のように1つだけポンっとある独立峰(どくりつほう)があるんですが、例えば七色の笠雲とか、そういう現象の出方が富士山は派手で目立つんですよ。富士山でなきゃ見られないような現象っていうのもあって、龍が現れたかのような現象が見れた日にはもう、神様とかいるんだろうなって思います。
■練習で撮り始めた富士山ですが、完全にロックオンしたきっかけはありますか?
もっと富士山に本腰を入れようと思った忘れられないエピソードがあって、夕方、上高地の帰りに高速を走っていると、韮崎あたりから富士山が見えたんですよ。その日は結構、上高地でもいい写真が撮れて満足していたのに、甲府盆地に富士山がすーっと見えたとき「すげー!」ってなって、その瞬間に富士山が全部勝っちゃって。特に強烈な朝焼けの富士山を見たとかそういうわけじゃなかったんだけど、なんとなく薄ぼんやり見えていた富士山に、「あ、やっぱりこっちに行こう」って思ったんですよ。富士山に一段とシフトアップしたのを今でもすごく覚えてますね。
上高地は僕にとって親友みたいなものだから、今も富士山を撮りつつ、たまに会いに行く感覚でリラックスしに行っています。
■撮影でなにか意識していることはありますか?
意識というか、元々、北斎の日本画や雪舟の水墨画とかが好きなので、僕の写真の構図にはそういうテイストが無意識に入っているのかもしれないです。あと、太陽と月の出る角度と富士山の合わせ方はいつも意識していますね。
最初はダイヤモンド富士とか定番な写真で嬉しかったんですが、長い事撮っていると、定番って繰り返しになっちゃうので、少しでも自分らしさが出ないとだめだなって思っています。今は誰でも情報を得やすくなっているから、富士山の山頂に太陽が乗っているような、わかりやすく誰もが狙うベタな構図じゃなく、富士山から太陽や月が離れていても感動させられる写真が撮れると嬉しいですね。“自分が出逢って切り取れたもの”っていうのが出せないといけないんだと思っています。「山本らしい写真だね」って言われるようになりたいです。
■どのくらいのペースで富士山を撮影に行っていますか?
行けるときは毎週撮影に出ています。それこそ30代の時は四駆の車にベッドをつけていたので、コンロからタンスまで全部入れ込んで、日数が許す限り山から下りてこなかったりしました。車を基地に、撮影ポイントと車を何往復もして、長い時だと1週間くらい籠っていました。ただ、撮影の出来は時間と比例しないので、何日費やそうと何回通おうと、納得のいく写真が撮れる保証はないです。なんせ自然が相手なので。
■富士山の撮影はどのように始めましたか?またその際の大事なポイントはありますか?
富士山の撮影をする場所って、ある程度、定番のポイントがあって、僕が始めた頃はちょうどそういうポイントガイドの本が出始めたころでした。今は大体どの辺で撮ればいいか分かりますけど、最初はそういうのを見ながらロケハンして撮っていました。何を撮りたいか、そのイメージで撮影ポイントは決めています。例えば、ダイヤモンド富士が撮りたければ山頂に太陽が昇る景色が見れる場所に行きます。今は『スーパー地形』っていう便利なソフトがあって、ある地点を検索すると、そこで見える富士山のシルエットや何時何分にどの位置に太陽や月が昇るかがわかるんですよ。
■富士山撮影にシーズンはありますか?
シーズンっていうのはなく、撮る気さえあればいつでも撮れます。
今年みたいに富士山の雪が少ないのは珍しいですね。やっぱり年々温暖化しているのを感じます。前は山中湖ってマイナス15度以下はざらにあって、樹氷が付きやすかったんですよ。氷がギシギシいってて、みんな山中湖の上でワカサギを釣っていたけど、そういうのが最近ないですね。富士山の雪っていうのは、南岸低気圧で変わるんです。どんなに寒くても、太平洋側を低気圧が何回も通るとどんどん雪は積もってくれるので、3月~5月でも雪のある富士山は撮れます。「雪やこんこん」という童謡がありますが、雪が降って喜ぶのは犬と富士山写真家だと僕は思ってます(笑)富士山写真家って、その1枚を撮るために10時間登山したり、リュックまで凍りつく中、じーっとシャッターチャンスを待っているんです。正直、頭おかしいですよ(笑)チャンスがきた瞬間、現場の空気感は一気に変わって、写真家たちの緊張感で殺気立つほどです。
ちなみに、狙っても撮れなかったことを撮影仲間の間では“撃沈”って言うのですが、富士山の撮影は基本は撃沈です。そして崩れるかどうかの瀬戸際の天気を大体狙うんですよ。例えば雨予報だったり。辺りでずっと雨が降っているのに富士山は出ていて、誰もいない中で傘を差しながら一人で撮ってるんです。富士山の撮影で一番面白いのは、台風の前後かな。強烈な朝焼けと夕焼けは大体そういう天気の時が多いです。
■使用しているカメラの機種について教えてください。
メーカーのこだわりはないですが、とにかく高画素・高画質で綺麗に撮りたいという、こだわりがあります。以前は布を被って撮るような、ドイツのリンホフ マスターテヒニカ(Linhof Master Technica 2000)というフィルムカメラを使用していました。一般的なフィルムは手のひらサイズですけど、このフィルムは1枚が横13cmもあるので肉眼を越えて写るんですよ。山なんか撮ったら強烈に見えます。ルーペで見ると木の枝の一本一本まで見えて、隙間に潜む動物も見えるくらい。引き延ばしたときに、やっぱり画質が綺麗です。ただ大判フィルムカメラはかなり重量があって、撮影する際もすべて手作業と一眼レフに比べて手間がかかるので手放しました。
今はNikonのデジタル一眼レフカメラD850と、SONYのミラーレスデジタル一眼カメラα7RIIIの2つをメインで使っています。一眼レフカメラは2種類あるんですけど、ひと昔の前の一眼ってみんなミラーが入っていたんですよ。今はミラーレスも発売され、そっちの方が小さくて軽量なので、ミラーレスを使うことが多いですね。あと、夜の撮影が便利です。
ミラーレスじゃないNikonを残したのは、絵作りが綺麗だから。メーカーというより、自分が綺麗だなって思えて、求めるスペックと値段が合えばいいと思っています。中学生の時に使っていたものを合わせるとこれは10台目になるかな。
■レンズは何種類持って行きますか?
基本ズームレンズで、広く撮れるワイドから、遠くまで引っ張れる望遠まですべて使います。レンズでこだわっている点は、光の本数の出方ですね。富士山の写真は太陽をまともに入れる写真が多いので、やっぱり光を綺麗に表現しないといけないと思っています。
光の本数はレンズの絞りの枚数によって決まるのですが、最近のカメラのレンズは9枚の絞りの物が多いんですね。奇数枚は倍の18本、偶数枚はそのままの枚数の羽根がでるんですよ。最近のレンズは奇数枚が多く光の本数がいっぱいでるけれど、ひと昔前のペンタックス(PENTAX)は8本。僕は8本が一番綺麗だと思っているので、他のメーカーのカメラでもアダプターを付けてペンタックスのレンズを使っています。それにペンタックスのレンズはゴースト(*)が出にくいですよ。僕の写真にはゴーストはめったにありません。あれがでちゃうと写真がぼやけるので。
*ゴースト(フレア)…光を写すと丸い光の帯が写りこむ現象
■肉眼とカメラを通したときを比べると、富士山の見え方に違いはありますか?
目の前の真っ暗な景色も、実は肉眼で捉えきれない街や月や太陽の薄っすらとした灯りがでていて、それが雲などに反射して辺りが染まっているんですよ。真っ暗な中で富士山は見えないし、月もない。そんな時でも思いっきりカメラの感度を上げて1枚撮ってみると、カメラはその灯りを捉えてて、富士山が見えるんです。「あ、富士山は雲の中に隠れていないな」って確認ができるんです。デジタルだから撮れる世界もあるし、あとは運もありますね。雲が出て、太平洋側の街灯りを遮ってくれたから綺麗な天の川が見え、空気がすっきりとしてぐっと冷え込んでいたから、辺り一面が霜で真っ白だったり。こういういくつもの条件が重なって普段は見ることのできない奇跡の1枚が撮れた、なんていうのもあります。
■カメラの用語でよく聞く感度とは何ですか?
アナログもフィルムも、ISO(イソ)感度が高ければ高いほど光を捉えて写るんです。フィルムって粒の構造で、その一粒ずつが光の受け皿になっているんですよ。粒が大きければ大きいほど光の感度は上げられる。ただ、その粒が大きいほど粗が目立って、ざらざらと画質が荒れる。僕が以前使っていたフィルムはベルビア50(VELVIA50)といって、標準ISO感度が100~400の時代に、50!ほんとに粒が一番小さいものをこだわって使っていました。その分、精細な写真が撮れるんです。やっぱりフィルムはデジタルより立体感があるかな。
■今までで一番思い出深い撮影地はどこですか?
やっぱり三ツ峠と北岳かな。三ツ峠から見える富士山はカタチがとても綺麗で、富士山に近い山なので、綺麗に見えるんですよ。富士山のてっぺんが水平に見えて、左右のバランスも一番綺麗だと思います。もし1枚3mの幅の写真展示をやるなら三ツ峠がいいですね。三ツ峠からの雲海富士は、唯一手を合わせてしまった富士山なんです。この富士山に出逢って、人生全部狂ったなっていうくらい僕には衝撃的でした。
北岳に関しては標高3000mあるんですけど、あの高さまでいかないと見えない景色がありますね。僕は雲海と富士山の組み合わせが特に好きなので、北岳からの景色は好きですね。太宰治の小説「富嶽百景」の中で「富士には、月見草がよく似合ふ」ってありますけど、僕からしたら「えー!富士山には雲海がよく似合うよ」って思います(笑)北岳の撮影はかなり過酷で毎回ひどい目に遭うのですが、1週間もすると「次はいつ行こうか」って次の計画を考えているんです。やっぱり天国みたいな景色はここだけだから!
■長年、富士山を撮られていますが、富士山との関係性に変化のようなものはありますか?
写真を撮っていない頃って、純粋にその景色を楽しめていたんですよ。それが写真を撮り始めた頃は撮らなきゃいけないっていう義務が入ってきちゃって、純粋に楽しめず複雑な気持ちになりました。今は昔よりも完全に“撮る”というモードを入れているので、そういう気持ちにはならないですけどね。結局、今この目の前にある景色をどう表現するのか、どう切り取ればこの感動が伝わるのか、そういうことを考えながら撮っています。富士山写真コレクターではないから、単純にいろんな富士山の写真が多くあればいいわけじゃない。
過去に「無駄が多い」と教わったことがあって。それはつまり、“何でも入れ込んじゃうとただの状況説明になっちゃう”ということなんですけど、写真は余計なものを切って切って切って、そして最後に自分が何を足すか。それが写真の魅力なんですよね。
写真には色気みたいなものもすごく大事で、もう亡くなってしまった写真家から、「自分が得た全部を教えたい」と生前に猛特訓を受けたことがあったんですよ。その写真家の1枚が今でも印象に残っているんですが、満月と富士山の写真で、確かにそこに色気があって。それがきっかけで自分の写真の構図が変わったように思います。つくづく出逢いには恵まれているなぁと思います。
■数々の出逢いが山本さんの写真に影響しているようですが、一番影響を受けた方は誰ですか?
富士山写真家の巨匠である大山行男さんですね。初めてその方の写真集を見た時に、大きな衝撃を受けました。富士山が織りなす森羅万象の作品が様々収められていて、富士山ってこんな山なんだと、驚き感動しました。「いつか自分もこんな写真が撮れるようになりたい」と、その写真集をみた時に心に決めました。今では大変お世話になっているのが、とても嬉しいです。
■富士山を追いかけて20年、改めて山本さんにとっての富士山とは?
うーん、なんだろうな、、、富士山を撮っててよかったなーと思う瞬間はいろんな出逢いがあった時で、写真は撮る人がいて、作品があって、それを見てくれる人、このトライアングルで成り立つと思っています。なので、見てくれた人との出逢いが広がったり、「感動した」「救われた」なんて言われた時は、“役に立った”じゃないけど素直に嬉しいです。「富士山を撮っていて本当によかったなー。富士山ありがとう」という想いになるから、行き着くところは感謝の存在です。僕は子供の頃から心身があまり強くなかった方だったんです。でも、富士山を撮ろうと思った時に、真っ暗闇な山の中にも入れるんですよ。始めたばかりの頃は半泣きで、怖くて戻りたくなることもありました。それでも、ただ「富士山を撮りたい」という一心で、真っ暗な山の中にヘッドライトを付けて何時間も登山するわけですよ。こんな僕の度胸も体力も強くしてくれた富士山は、いろんな意味で恵みの山ですね。
■最後に、今回の展示会の見どころと来場者の方へのメッセージをお願いします。
こんなご時世で一日一日、先が見えなくなっている中で、正直、写真展を開くのは心苦しく葛藤もありました。でも今回の展示で光にテーマを当てたのは、少しでも富士山の希望の光で、見てくれる人が「また頑張ろう」とか感動してくれれば、嬉しいなと思っています。前回の展示会でも自分の知らないところで僕の写真に勇気づけられた人がいたという話を伺って、本当に嬉しくてありがたいなって思います。感動って“感じて動く”と書きますが、自分が知らないところで、作品が誰かを動かしていたりとか、作品が一人歩きしてそういうことが起きているのはとても嬉しいです。
今回の展示会では、1.5m幅の大きい作品を並べるので、撮った時の空気感、臨場感を味わってほしいですね。
山本耕作(富士山写真家)プロフィール
慶応義塾大学卒業法学部。幼少の頃町田で育ち、現在相模原市在住。富士山や日本の美しい風景を高画質デジタルカメラや大判、中判のフィルムカメラで撮影している。
1998年 富士山の撮影を専門に取り組み始める。
2003年 「河口湖富士山写真大賞」に入選。
2006年、2007年 富士フイルム社と風景写真出版の共催による「美しい風景写真100人展」に富士山の写真で連続入選。
2014年 富士フイルムスクエアで開催された、風景写真出版企画、富士フイルム社主催の写真展「天晴れ!ニッポン山風景」に作品出展。同年、パズルメーカー「やのまん」より、「赤富士遠望」ジグソーパズル発売。
2016年 雑誌「風景写真7-8月号」で巻頭特集に作品掲載。
2017年 町田パリオにて初の個展「富士悠久」を開催。
2018年 持田製薬㈱ カレンダーの奇数月に作品提供。
そのほか、神奈川県の地方紙 「リベルタ」に、「富士山写真家 山本耕作の『今日も撮影日和』」など多数の写真を提供するなど、多方面に作品を提供している。
まだ見ぬ富士の姿を追い続け現在に至る。
パリコレッ!ギャラリー vol.5
富士山写真家 山本耕作
写真展『富士 光の山』
町田パリオがオススメする
アーティストの月イチアート展シリーズ第五弾!
変幻自在に変化する富士山を20年以上に渡って撮り続けてきた写真家、山本耕作。町田パリオで4年ぶりの写真展を開催。人間の想像をはるかに超え、常に感動と驚きを与えてくれる富士山。富士と光が織りなす神秘のドラマに焦点を当てた作品の数々を公開する。音楽とのコラボも必見!
日付:2021年1月7日(木)〜17日(日)
時間:11:00〜18:00(最終入場17:30)
*10日(日)は15:00CLOSE
会場:3F ギャラリー・パリオ
入場無料
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パリコレッ!ギャラリーvol.6
アーティストインタビュー
インスタレーション:坂本のどか
今回の個展に向けて、これまで制作されてきたインスタレーション作品や、町田に引っ越してきた経緯も含めて、Zoomでお話を伺いました。